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東京高等裁判所 昭和32年(ラ)408号 決定

抗告人 石井宇平

相手方 木島博

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告代理人は、原決定を取り消す、本件につき原裁判所が昭和三十二年四月十一日なした競売開始決定はこれを取り消す、相手方の競売申立はこれを却下する旨の裁判を求め、その理由として主張するところは別紙のとおりである。これにたいし当裁判所はつぎのとおり判断する。

本件記録によると、抗告人は相手方にたいし昭和二十九年四月二十三日抗告人が相手方にたいして「手形貸付、商業手形割引およびその他の方法により現在負担し、および将来負担する一切の債務を担保するため」(抗告人が相手方へさし入れた工場抵当法第三条による根抵当権設定契約書記載原文のまま)抗告人所有の本件不動産および機械器具につき極度額を金八十万円とする工場抵当法第二条、第三条による根抵当権を設定し、同年四月二十四日これが登記を了したこと、相手方は昭和三十二年三月十三日申立外高崎絹株式会社から、同会社が抗告人にたいして有する生糸および玉糸取引に関する前渡金、立替金の債権金百三十三万七千七百十三円を譲受けたとして、その債権の内金八十万円にもとずく抵当権実行として前記抵当物件にたいし競売の申立があり、原裁判所において昭和三十二年四月十一日競売開始決定のあつたことをそれぞれ認めることができる。

抗告人は前記のように相手方が第三者から譲受けた抗告人にたいする債権が本件抵当権によつて担保されることはありえないと主張する。しかしながら、記録中の根抵当権設定契約書によると、本件根抵当権設定契約においては、担保される債務を、抗告人が相手方にたいし「手形貸付、商業手形割引およびその他の方法により現在負担し、また将来負担する一切の債務」という表現をもつて合意したことが認められる。右の表現は特に「その他の方法により」という記載があることによつて被担保債権の発生原因たる事由をきわめて広い範囲で当事者が承認したものと解せられるので、これとちがう解釈をすべき、とくべつの事情をみとめるべき証拠のないかぎり、第三者が根抵当権設定者にたいし有する無担保の債権を根抵当権者が譲受け取得した債権をも根抵当権の被担保債権とする旨の合意をふくむものと解するのほかはない。しかして本件において右の反対の事実を認めるにたる証拠はない。

当事者の一方が相手方にたいし、約定の最高限度額に達するまで、現在および将来負担する債務を包括する一切の債務を担保するために抵当権の設定をすることは、商業取引において一般に行われるところで、この場合如何なる種類の債権債務が右担保の目的となるかはその根抵当権設定契約の内容によつて定まるものというべきであり、当事者の合意で直接の取引によつて生じた債務のみを目的とすることもできるし、本件のような第三者の債務者にたいする債権を譲受けたものをも右被担保債権に包含させることもまた契約自由の原則上可能というべきである。

抗告人は、抵当権者の譲受債権が被担保債権となることは「受信者の意思によらない債権が与信者の行為によつて無制限に発生することになり許されない」と主張するけれども、設定者が根抵当権設定契約において譲受債権を被担保債権とすることをあらかじめ承諾している以上、これが受信者の意思によらないとはいいがたく、また被担保債権の額については必ず極度額が定められるのであるから無制限に被担保債権が発生することはない。抵当権設定者が人的信用によつて負担した債務が譲り渡されることによつて根抵当権の被担保債権となるという事態を予期したうえ、なお金融の便を得んとして本件のような包括的な根抵当権設定契約をしようというならばなんらこれを禁止する理由はない。なお、根抵当権者が設定者に便益を与えることをなさず、その抵当権が包括的根抵当権であることを、いいさいわいに、設定者を害することのみを目的として他人の設定者にたいする無担保債権を譲受け、抵当権の実行をしようとするような場合には、それは権利の濫用として許さるべきではないこともちろんであるが、本件における相手方の債権譲受についてはかかる事情を認めるべき証拠はない。

したがつて相手方が本件譲受債権中根抵当権設定契約において合意せられた極度額八十万円を基本債権として本件根抵当権を実行することは、なんら違法ではなく、抗告理由第一点は採用できない。

抗告理由第二点は前記の説明によつてその理由のないことすでに明かであり、これまた採用の限りでない。

なお抗告人は、右抵当権実行の基本債権である相手方が譲受けた債権の数額を争つているが、抵当権によつて担保される債権が、どれだけでも存する以上、抵当権を実行し得ることもちろんであるのみならず、記録中の債権譲渡契約公正証書正本(第六丁)、同譲渡通知書(第八丁)によると前記認定の金額の債権譲渡があつた事実を認定することができ、これを左右しうる証拠はない。

すなわち本件抗告は理由がないから主文のとおり決定する。

(裁判官 藤江忠二郎 谷口茂栄 満田文彦)

(別紙)抗告の理由

原決定には、根抵当契約の法律上の解釈を誤つた違法があるか、根抵当設定契約の内容誤解し、よつて事実を誤認した違法がある。

一、根抵当契約は、当事者の一方が相手方に対して、一定金額を限度として、将来相手方の申込があればこれに応じ、消費貸借を成立させることを約する所謂与信契約と、相手方すなわち受信者又は第三者において、右契約にもとずき、将来成立するであろう消費貸借上の担保として、予め抵当権を設定する契約をいうものであつて、前記の与信契約は、受信者の利益のために締結されることを通例とし、特別の約旨の見るべきものがない限り、受信者は必ず消費貸借を成立させなければならない義務はもちろん、その他何等の義務を負うものではない。(昭和八年(オ)第一五五九号、同年一二月二日大審院民事四部判決、大審民集一二巻二八〇四頁、新日本法規社新判例体系民事法編民法3、一五四頁の二四)

根抵当契約における与信契約にあつては、債権の発生を義務ずけられる者は、あくまで与信者であつて、受信者ではない。もしも、この基本的関係をくずして、受信者の意思によらない債権が、信与者の行為によつて無制限に発生することが許されるとすれば、受信者は一つの抵当権を設定することによつて、自己の信用による取引関係全般にわたつて抵当権を設定したと同一の危険にさらされ、その人的信用を生活に利用することができない。人間の生活は、人的信用と物的信用とを、あわせて利用することによつて、はじめて成立つのであつて、根抵当の基礎に存する基本の法律関係にあつて、債務者の人的信用を危険に陥し入れる債権の発生が許されることは、物的信用的な根抵当契約の法律上の性質からいうて、あり得ない。

原決定は、この点で、根抵当契約の法律上の解釈を誤つた違法がある。

二、原決定は、本件根抵当権設定契約書に「石井宇平は、同人が木島博に対し手形貸付商業手形割引及びその他の方法で、現在負担し及び将来負担する一切の債務を担保するため云々」の記載があることを根拠として、相手方が他から譲り受けた抗告人に対する債権も、根抵当によつて担保される債権の範囲に属するものと判示しているけれども、ここにいう「その他の方法により」とは、方法の文字によつても知られるとおり、手形貸付とか手形割引とか与信契約の範囲内における貸借を成立させる方法、即ち契約の種類を示したものであつて、他の当事者間の債権の主体の交替を意味するものではない。さらに、つゝこんでいえば、根抵当契約において、将来債権の発生を期待させる基本となる法律関係は、特定しておらねばならないのであつて、その特定した法律関係の範囲外の債権を、これに組入れることを当事者が合意したとは考えられない。

原決定には、この点で、事実を誤認した違法がある。

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